ロックバンドに「衝動性」は不可欠だ。
僕は10代の頃からいわゆる「人格障害」で
通院もしていた。
二十歳前後にバンドを始めるまで
「虚無」と「自己嫌悪」謎の「破滅願望」
そしてそれらに「陶酔」するような
そんな奴だった。
バンドを組み、ライブをしだすと
そんな衝動性が、もてはやされたりする局面が出てくるようになる。
今思えば、そこに拠り所を見いだしたのも頷ける。
敬愛するミュージシャン
カート・コバーン
ジミ・ヘンドリクス
ジャニス・ジョプリン
全てドラッグの問題で20代で死んだ。
もう少し生きた人だと
スコット・ウェイランド
そういうものだと思っていた、当時は。
衝動性に富んだ音楽で他人を魅了して、
「ロックへの献身」として若くして死ぬもの
そんなものだと。
酒を断っている今、思う。
その「伝説の」彼らは最後
幸せだっただろうか?
デヴィッド・ボウイ
最近亡くなる少し前までアルバムを作っていた。69歳まで生きた。彼はドラッグの解脱施設に入り、再生した。
クラプトンもそう。
ドラッグから抜け出し、今もプレイしてる。
ジョン・フルシアンテ
かつてはレッドホットチリペッパーズから突然脱退して(ドラッグ)その後血で描いたようなソロを2枚出し、現在はドラッグから抜け出して創作を続けている。
ロックの持つ「儚さ」は
なにも「若くして死ぬから」ではない
そもそもドラッグを摂取しなくても、
素晴らしい音楽を創る人は無数にいる。
音楽の素晴らしさと
ドラッグやアルコールへの依存を
結びつけてはいけない。
俺は今、もう30歳をだいぶ過ぎた。
20歳の俺は、今まで生きていると思っていなかったろう。
楽器の技術は日々向上する。
衝動性はうすらぎつつ、音楽的な深みが増す。
若さからの「儚さ」「危うさ」は失っても
別の「音楽的な何か」
が加わり、
結果、どちらの方がいいかは
聴く人の「好み」それだけ。
そんな曖昧なもののために
命を落とすのは違う。
敬愛する彼らも
ドラッグがなければ、良くも悪くも今もプレイしていたかもしれない。
生き続ける、ことは「純度」を保つことが難しい。
けれど「純度」
のために若くして死ぬ必要などない。
34歳の俺の「音楽」
20歳の俺が聴いたら、嫌うかもしれない。
今、俺は俺なりの音楽を創り、演奏している。
そうしたいからだ。
人の考えは「留まらない」
そういう意味では
「考えの一貫性」にこだわること自体が
意固地だ。
今。
ここ。
楽しんでいるか。
夢中になれる何かはあるか。
俺は、あるよ。