毎日新生するログ

願わくば長く書き続けることになりますように。

長い記事です~さよならストラト~

ギターを破壊したことがある


中3の時に買った

メキシコ製fenderのストラトキャスター。


高校の頃

精神的にすごく調子が悪くて

なんだかあまり記憶が無いが

めちゃくちゃやってた。


そのころギターは

孤独でやるせない時に

怒りとか

悲しみをぶつけるものだったかもしれない。


誰に向けるでもない

かきむしるようにギターをいじめ抜いて


過ごしてたなあ。


親父は結婚まで

ベーシストで飯を食っていた

母親は結婚まで

歌を歌って飯を食っていた


ガキの頃からいつも


ピアノの音やら

コンポから聞こえる音楽やら


「音楽」はすぐ側にあった


親父がベースを弾いているのを

見たことがない。

50年代製の高そうなジャズベース

ケースの中で放置されてたのを覚えてる。


親父は酒に酔って暴れたり

時々優しかったり


小学生の頃は

母親のいない時に

部屋に来て俺に性的なマウントをしたり


でも


高校の頃、ギターを引いてる俺に

時々偉そうになんか、コードはこうだ、とかなんとか


的はずれなことを言ってきたりした。


俺はそれが嫌いじゃ無かった。


むしろ、的はずれな小言は


数少ない会話だった。


親父の元から逃げるようにして


その後俺は横浜に住んだ


20代の初めに横浜でバンドを組んだ


「居場所」を感じた。


当時の彼女と同棲しながら


バイトとバンド


元々破滅願望のあった俺の


作る音楽、ライブは


ある層から支持されて


あとから考えれば「飛んでみろよ」的な


道化を面白がる連中だが


受けることは受けていた。


希薄だった自己肯定感が


音楽で実感に変わる。


そんな俺に辟易する当時の彼女。


毎晩のようにボロボロになって


休みはスタジオかライブ


終われば朝まで飲んでるから当然だよね。


「バンドをやめて、ちゃんと向き合ってくれ」


と言われた


俺は公園に行き


メキシコ製のストラトを叩き壊した


3日後にはもう我慢出来ずに


中古の楽器に逆さに弦を張り


弾いてたけど


結果その人とはうまくいかず


バンドは


音楽で食えれば、内容は重視しない派と


食えなくても、やりたいことしかやりたくない派


に別れて


解散した。


それからいくつかバンドやったり


1人で活動したりしながら


仕事をしながらの音楽


そういえば俺は


10代の時に「境界性人格障害」


て診断されてたけど


今年


「反応性愛着障害」と

合併症「アルコール依存症」



診断名が変わった。


周りを振り回したり

愛情や友情を試す危険な行為も


ここ数年落ち着いているように思える


黒のメキシコ製ストラトキャスターも


もうあまり思い出さない。


父親


今は再婚したとか、するとか聞いたような


聞いてないような、そんな記憶


アルコール依存症で、虐待の加害者で

精神に疾患のあるある今では被害者


父親



精神的疾患、虐待の被害者、アルコール依存症



共通点は


たくさんある


でも俺は親父とは違う


親父のベースは

ずっとケースの中に放置されてた


時々懐かしそうに


昔話で音楽を語ってた。


俺は今も


毎日のように音楽を考え

演奏してる


いいものも悪いものも「遺伝」する


それは、もうしかたない


存在しない影に怯え


薬によって平穏を得る俺


それも仕方ない



ここから先の話


それだけが大事


自分の作る世界


守りたい人

大好きで、大嫌いな音楽



全部を


「抱きしめたりしない」

「手放しもしない」


俺はどこにも


逃げ隠れしない


ただもう


見えない影とも戦わない


終わりのない「螺旋」から降りる


ただそこにあること

ただそこにあるもの


そして


そばにいてほしいもの

そばにいてくれたもの


それと生きていく。


「心の真ん中」


そこには音楽と

大切な「美しいもの」


皮肉にもそれは


親父によってもたらされた部分もある


それはそれで


ありがたく貰っておこう。

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