ごめんなさい病
「嘘でもいいから許された(愛された)と感じて、らくになりない」
そう思ってたんでしょうね。
て書くとなんだか朝から重いですねwww
僕は10代の後半から20代の前半頃は
精神疾患が激化すると発作的に
「泣きながら周囲(家族、友人、恋人)に対して謝り続ける」
というへんてこな症状がありました。
僕自身それをしながら自分自身がたまらなく嫌で
辛かったのを覚えています。
小さな頃(性的な)辱めを受けて育ちました。
今ではしらふなので、ここに書いたりしても落ち着いていられますが、
当時は、どこかで愛されてると思いたかったのでしょうね、本当にただの欲求を満たす道具としか扱われていなかったことを必死で否定したかった、そして愛されていないことを知ることはとても怖かったんだと思います。
今の彼女が面白い意見をくれました
「時々、無性に謝りたくなったり、謝りまくってしまう変な自分がいるんだよね、そうしてしまったらごめんね」
と、半ば自虐的に話してた時
「謝るのは、言ってて悲しいじゃん、どうしても言いたいなら、ごめんなさいじゃなくて、ありがとう、って言うようにしたら?それで気が済めばみんなにとっていいよね、ありがとうは言い過ぎがないから」
なんて単純かつ健康的な人なんだろうと
びっくりしたのを覚えてます、そしてそんな彼女に今も度々救われる思いです。
「ごめんなさい」を「ありがとう」
に変えていく。
それは誰の為でもない
自分を好きになるため。
そして最早売り文句のようですが、そうではありませんwww
これも、酔いから醒めて、改めて本当の意味をわかってきているところなのかと思います。
しらふで問題に直面する生き方を
始めたばかりなのでまだ
辛い時があります。
ただ
しらふで考えること、そこから出る答え
それが正解不正解関わらず
しらふで出した答えは「後悔」に
つながらない。
そんなことを思います。
まだまだこれから、変わっていきたい。
朝から暑苦しいのでしたwww